きゃみーぶろぐ

当面は雑記的に書いていきます

大正生まれの壮絶な話

 

 

大正生まれの方は大体、御年90歳ぐらいです。

 

僕は職業がら一日に数名

多いときで十数名

中には100歳を超えているお客様とお話することがあります。

 

 

大正生まれの方とお話されたこと、ありますか?

 

「あんたらはこれからやね~」

「わたしらは年取ってもうアカンわぁ」

「はよお迎え来てくれないかね~」

「わたしらが若いころはねー・・・」

昔を思い出して当然のように話してくださる内容が

僕らには想像もできないような

壮絶で、ショッキングなお話をしてくださることがあります。

 

 

今日は一人、学生時代の話をしてくださったお客様がいました。

 

 

防空壕の中で友達と話した会話

 

ある女性のお客様が女学校に通っていたときの話をしてくださいました。

 

女学校(じょがっこう)とは、第二次世界大戦以前の日本において、女子教育を施すための学校。 女紅場とも呼ばれた。【wikipediaより】

 

 

制服なんてええもんやないよ~

みんな古い着物を縫い合わせて作ったモンペやぁ

 

食べられるものは草でも食べたなぁ~

えんどうまめだって皮ごとゆがいて食べるのが当たり前やぁ~

 

 

戦時中はやはり、贅沢とは程遠い質素な生活で

お米を食べられるなんてめったにない

わがままなんて口がさけてもいえない

 

授業を受けてる最中も

常に危険と隣り合わせの生活。

 

 

 

授業中。

空襲警報のラジオが流れた瞬間に

級長が急いで鐘を鳴らしに行きます

 

カンカンカンカンカン!!!!!

 

鐘を聞いてみんな防空壕へもぐります。

 

 

外では戦闘機がうなりを上げながら飛んでいます

 

 

 

防空壕に非難して

友達と方をよせながらうずくまり

手をギュッとにぎりしめて

こんな会話をするようです。

 

 

 

 

 

 

 

「○○ちゃん、死ぬときは一緒に死のなぁ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

子供がこんな会話してるなんて今では考えられません。

 

 

 

それをさも当たり前のように説明してくれるお客様。

今の時代はいいねぇーと軽くおっしゃいますが

 

 

 

心の底からの言葉は深みをおびて

僕らの心に突き刺さります。

 

 

 

 

実際体験していない僕たちは当たり前のことにありがたさを感じられません

でも忘れてはいけない戦争という過去があり

その過去があったから今という幸せがある

 

お客様との会話で教えられます。

今に感謝。

GW終わるし太陽について書くよ

 

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プロミネンス



 

 

GWが終わります。

言いようのない虚無感、焦燥感

 

 

休みの終わりはいつもこうなりますが

仕事が始まって3日ぐらいたてば

どうってことありません

いつも通りの平常運転に戻りますよ・・・

 

 

さぁ

明日から仕事だぜ!

やり残した仕事もありますがブログを書く!

何も考えず気の向くままに!

 

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26年を振り返ってに書いてみた

 

 

投稿一回目、自己紹介します!

 

なるべく読みやすく退屈しないように心がけます。

 

 

心がけるだけです。

 

 

「かいろす」

 

歳は26歳で性別は男

大阪に住んでるサラリーマン

 

仕事の内容は施設に訪問して髪をキレイにする訪問美容師

ひとつ年上の妻がいる 美容師,サロン勤務

 

さらに祖母、母、叔母、従兄弟が美容師(今は従兄弟だけ)

美容師多すぎ!

父は金属加工会社のサラリーマン

姉と妹もいる

 

お婆ちゃんのヘアサロン ミハト美容室は地元じゃ一番の繁盛店だったらしい

お爺ちゃんがオーナーだったみたいだけど

無駄に大きい家真っ赤な箱型の店で

ビックリするのがなんと4階建て 

2階が住居スペースと撮影スタジオ3階と4階が結婚式場だった

僕も小学校2年生からそこで住んでたけど

時代の流れでもう田舎で結婚式する人はそうそういなかったから

ぜーんぜん使ってなくて

小学校の友達としょっちゅうかくれんぼとかしてたなー

でも決してお金持ちの裕福なお家柄とかではないよー

 

 

小学校はポケモンベイブレード遊戯王デュエルマスターズで遊んでた

全部めっちゃ弱かったけどね

中学校から携帯持たせてもらって

家のPCでネットゲーム「眠らない大陸クロノス

パソコンでCDに焼いた音楽をMDにしてMDウォークマンで聞きまくってたな

今思うとすごい手間。

中3で着うたフルっていうのが出てSUGEEEE!!ってなったなぁ笑

もう10代には分からないワードで間違いないよね

 

音楽が好きで

中学は特に洋楽にハマった

GREENDAY」が仲間内では至高で

日本のアーティストはダメだとか、スター性がないとか仲間と本気で言ってた笑 

このころにQUEENだとかOASISとか知った

 

中学2年生のときにビューティフルライフって小説を読んで

なんとなーく美容師やろうかなぁとか思ってたら

たまたま美容学校と高校が一緒になってる学校をみつけて

高校卒業まで受験なしストレートで行ける学校だったんだけど

人とは違う道を行ってる俺カッコいいみたいに思ってたから

 

高校一年生から大阪に出てきて安いアパートで一人暮らししていた

16歳から一人暮らしってあんまりいないよね

 

都会に出たい、一人で暮らしたいって願望が強かったから

反対を押し切って踏み切ったわけだけど

からしたら毎日心配だし月の仕送りや食料の配送などなど

本当に骨が折れたと思う

 

でもはじめて道頓堀に行ったとき

人の多さ、お祭りでもやってるのかなと本気で思った

都会に出てきたんだ・・・ってただただ圧倒されて

これからこの土地で物語りが始まると思うと

すっごくわくわくしたのが忘れられない

 

 

生活全部親に甘えるわけにもいかないから

1年生のときからセブンイレブンでアルバイトを始めて

2年生の夏から土日だけ美容室でアルバイトで掛け持ちしてた

学校の時が休憩みたいな感じだったかな

美容室のは修行だから普通には稼げなかったけど勉強になったのはだんぜん美容室

 

色々、もうほんと色々な事件を起こしながらも学校とセブンイレブン卒業して

アルバイトしてる美容室にそのまま入社し

そこから6年間勤めたんだけど

 

 

本当にポンコツスタッフだった

 

 

アルバイトからやってたからスタートはすごく順調だったけど

ハサミ持ってから全然上手くいかなくて

気持ち的に落ち込んでしまって

完全に負のスパイラルに入ってしまって

無断欠勤したこともある

言われた事もやらないし

仕事もプライベートのことも

毎日毎日叱られて、家に帰ったらすぐダウン・・・

何にも身が入らず、技術も出来なくなって

後から入った後輩スタッフに技術教えてもらったりしてた

もう書き切れないほどの失敗を重ね

 

ある日お客さんの勧めで病院行ったら

発達障害かもしれませんと言われた

専門の病院で診断してもらったらやっぱり発達障害

(広汎性発達障害ADHDアスペルガー症候群

え、俺が?ってなったけど

向き合うしかない

お薬飲んで対応していたけど根本的な解決にはならず

ただただ無気力に働いていた

 

お客さんからしたら最悪だよね

 

4年目の夏、ヘアコンテストで妻と出会った

本当に献身的に支えてくれて寄り添ってくれて

なんとか仕事もこなせるようになってきたんだけど

 

でも、最終的には最悪な辞め方をしてしまった。

またブログにも書いていこうと思う。

 

それから訪問美容師の会社に入った訳だけど

環境が変わり

仕事も前より上手くいくようになった

今3年目

 

 

 

とまぁこんな感じ

また色々しこしこと書いていこうと思う。

 

 

最後まで見てくれてる人がもしいたら・・・

ほんとに感謝します。

ありがとうございます。